私は10年以上、瞑想をしています。本格的にやりかたを教わったわけではないので、その都度、自分なりにこれがいいかなと思うやりかたで取り組んでいます。(それこそ、最初は目をつぶっていただけでした。)

 

我流ですが、それでも10年も続ければ、それなりになります。最近では、深い瞑想状態に入れるようになりました。瞑想

 

ところが、たまに全然、瞑想がうまくいかない時があります。

 

一言でいえば『集中出来ない』のですが、雑念が浮かんだり、何かざわざわして落ちつきがない状態に陥ってしまったりと、瞑想状態とは真逆です。

 

居心地が悪いので、嫌になって止めたくなったりもするのですが、ここで我慢して続けると、また落ちついた状態に戻ります。しかも、今度はもっと深い状態になります。

 

そんな経験を何度も繰り返しているので、次のステージに進むために必要なプロセスなんだなと思っていたのですが、最近、明確な答えを目にすることが出来ました。

 

瞑想中、落ち着かないのはカルマを解消しているから

 

それは、阿部俊郎さんの『大いなるひとつ』に、こんなことが書かれていたからです。

 

あなたのちょっと深いところにあるカルマに触れだしたの。ひっきりなりにザワザワするでしょう。そういう時こそ、瞑想の効果が出てくる時です。それは一過性だから、やり切ってしまったら、また元の静かな状態に戻ります。

 

カルマが解放されている時っていうのは、いろいろな映像やとりとめのない思考という形になって出てきます。でもザワザワしている時も実は瞑想のあるべき姿なんです。そういう時こそ、やめないでください。(P.164~165抜粋)

 

これは瞑想に飽きて、止めたくなる時があるという質問に対する答えとして書かれていることですが、まさに私が集中出来ない時の状況そのものでした。阿部敏郎

 

この一文を読んで、これもあるべき姿なんだということを確認することが出来て、だいぶ安心しました。

 

実は瞑想の効果はあるのかも

 

ちなみに、このことが分かってからも、しばしば瞑想中、雑念が出てくる時があります。いつも感じる気持ち良さもないのですが、自分を観察していると、それなりに意識は深いところに到達しているようです。

 

瞑想が終わった後、目を開けると、瞑想する前と感覚が違うので、効果は変わらないようです。感覚的にはなんだかなと思っても続けたほうがいいということですね。

 

そういえば、心がザワザワするということに関しては面白いことがあります。それはザワザワする原因が、日によって違ってくるということです。

 

たとえば、ある日、不安を感じて浸っていると、いつの間にかなくなります。それで心がスッキリしたと思ったら、今度は怒りが出てきます。それもなくなったら、今度は心配、それがなくなったら、又違う不安が・・・

 

こんなふうに一つがクリアになったら、また次の何かが出てくるという感じで、キリがないのですが、これが阿部さんの言うカルマ解放なのでしょうね。こうやって、一つずつなくなっていって、それに連れて、とらわれのない自由な心になっていくのだと思います。

 

瞑想は深いですね。