こちらのページでも触れましたが、スピリチュアルの教えって、ともするとありがとうございます。自分の都合の良いように解釈することで、自己正当化の言い訳に使ってしまうことも出来ます。誤った方向にいかないように、自分自身の考えをキッチリ観察する必要があります。

 

スピリチュアルの世界で流布する言い訳ってけっこうあるのですが、私が気になることの一つが『努力という言葉は奴隷を力づくで動かすこと』というセリフです。

 

努力とスピリチュアル

 

解釈は人それぞれなので、どれが正しいとは断言出来ない部分もあるのですが、努力という漢字の由来は『粘り強く力を入れる』という意味であるという説もあります。

 

また、たしかに嫌なことを無理に行うということは良いことではありませんが、だからといって行動しなくていいということではありません。

 

努力はいけないと説くスピリチュアル本でも、このセリフの次には『自分が好きなことをやろう』という話につながるのが通常のパターンです。

 

要は自分が嫌なことではなく、好きなことをしようということですね。

 

好きなことでも嫌な時はある~結局、努力は必要~

 

それで、ここからが問題なのですが、では好きなことをやるとしても、それがずっと好きなままということはありません。人間は飽きる動物なので、同じことを続けていると、時には嫌になったり、つまらなくなることもあります。

 

そうなると、好きなことが『やらなければならないこと』に変わります。こうなると、続けるためには、自分に無理をさせることになりますが、これって努力です。

 

では、ここで努力はしないほうが良いと言うことで、止めるのがいいのでしょうか?

 

現実的には、止めたらそこで終わりです。そして、その場その場で嫌なことを避けて、好きなことだけに目を向けていたら、何事も中途半端で終わってしまうことは間違いありません。

 

そもそも、好き嫌いって、かなり微妙な感情です。自分自身でも、本当に何が好きで何が嫌いか分からないこともあります。現実逃避の言い訳だけになっていることもあります。

 

たとえば、働くのは嫌だから働かない。好きなことはオンラインゲームだから、一日中家に閉じこもって熱中する。ごはんは嫌いだから、毎日好きなポテトチップとコーラ。努力を放棄するスピリチュアル好き

 

好きだから、これで良いのかと言えば、微妙ではないでしょうか。何かが違うと思います。

 

あるいは子育てはどうでしょうか?

 

まともな親だったら、子供が大好き、何よりも大切な存在と感じるでしょう。でも、時には育児が面倒くさくなる、投げ出したくなることもあります。そのとき、いつも感情の赴くまま行動していいのでしょうか?

 

たまには、他人のサポートを得て、育児を休んで遊びに行くといったこともいいと思います。でも、これが毎週のように繰り返すとしたら・・・

 

やっぱり違いますよね。

 

好きなことをする、嫌いなことはしない

 

これは100%、正しい言葉です。でも、言葉というのは幾らでも好きなように解釈できます。そこで自分の都合の良いふうに捉えないように、自分自身を律することが必要です。

 

私自身の努力に対する考え方

 

かと言って、何でもかんでも我慢して、『●●しなければいけない』という発想で生きるのも間違っています。そうなると、いつか行き詰まるはずです。

 

ここはうまく表現することが出来ず歯がゆいのですが、私自身は努力や好き嫌いということに関して、次のように考えています。

 

まず、努力は尊いことと思っています。自分を成長させて、豊かな人生を創造するための大切な手段と捉えています。しかし、嫌ことはしません。あくまでも好きなことに関して努力します。

 

そして、好きなことでもサボったり怠けたくなることを認識して、そこは自分を律するようにしています。好きなことに関して、怠けることは許しません。決めたことは必ず実行するようにします。

 

逃げ癖がついている人は好き嫌いで物事を判断しないこと

 

最後に、好き嫌いで物事を判断するというのは、現世の世界で最低限、必要なことを出来ている人だけに許される行為であるということを補足しておきます。

 

ここで言う最低限というのは、自分自身の食い扶持を稼いでいるということです。生活費ぐらいは自分で稼ぐ。この部分を親に依存していて、好きも嫌いもない。こういうことです。

 

自分の力で生活出来ないような状態でしたら、そもそも好き嫌いなど言うこと自体が贅沢です。そういった人は、まず自立出来るように状況を整える。

 

これが現世を生きる第一歩だと思います。

 

※ もちろん、これが障害を持つ人や長期疾患を患っているような人は別です。努力しようと思えば努力出来る肉体を持っている人にとっての話と捉えてください。同時にハンディキャップを背負っている方でも、毎日を一生懸命生きている人が多いということもお伝えしておきます。