このサイトの記事を幾つか読んで頂ければ分かりますが、私は努力や行動を重要視している人間です。願望を実現するうえで欠かせないことだと思っています。ちなみに、スピリチュアルの世界だと、『努力をしてはいけない』というセリフを目にすることが多いと思います。

 

努力とは奴隷を力づくで動かすことからきている。努力とは嫌なことを自分に無理強いすることにほかならず、そんなことをしてはいけない。

 

こういった内容ですね。

 

奴隷うんぬんというのは、言葉遊びに過ぎないと思っているのですが、嫌なことに無理して取り組むのはよくないという意見には同意見です。

 

自分がやりたいこと、楽しめることに対して努力することが大切だと思っています。

 


『努力する』イコール『行動する』という意味として捉えて頂ければと思います。

 

ただ、だからといって、嫌ことは避ければいいのか、やりたいことだけやればいいのかと言うと、それも違うと思っています。

 

こんなふうに動いていたら、何事も成し遂げられません。もちろん、願望が実現することもありません。

 

時には嫌なこともしなければいけません。

 

ここは細かく説明する必要がありますが、ポイントは嫌なことには二種類のタイプが存在するということです。

 

本当に嫌なことと、好きなことに含まれている嫌なことです。前者は無視すべきですが、後者からは逃げてはダメです。嫌だなという気持ちを乗り越えて取り組まなければいけません。

 

 スピリチュアル的努力

 

好きなことに含まれている嫌なことは避けてはダメ

 

では、どんなことが『好きなことに含まれている嫌なこと』なのか?

 

具体的に例をあげてみますね。

 

私は大の犬好きです。子供の頃から、ずっと犬を飼っていて、犬がいなかった時間のほうが短いぐらいです。ちなみに『チビポール』というハンドルネームは飼っている犬から付けました。

 

(『チビ』と『ポール』という名前です^^)

 

犬と遊んだり、散歩をするのが大好きですが、時々、世話をするのが億劫になり、サボりたくなります。

 

それで、ここで嫌だからという自分の気持ちに正直になればいいのかと言うと・・・

 

そんなことありません。人間が世話を放棄したら、犬は生きていけません。それでも、自分の気持ちが大切だからなんてことはないですよね。

 

もちろん程度問題で、支障のない範囲内で手を抜くのはいいと思いますが、ここで私が言いたいのは、そんなことではなく、嫌なことでもやるべきことがあるということです。

 

そして、ここが重要なことなのですが好きなことでも、時には嫌になることがあるということです。

 

これは、仕事でも家事でも何でもそうです。人間の気持ちは揺れ動くものなので、どんなに好きなこと・楽しいことでも、ずっとそう感じているということはありません。飽きる時、嫌になる時も必ずあります。

 

そのたびに、自分の気持ちのおもむくまま止める、放り出すというのがスピリチュアル的な生き方なのでしょうか?

 

私は違うと思っています。時には自分を叱咤激励してやらなければいけないこともある。そんなふうに感じています。

 

本当に心の底から嫌なことを無理してやるのは意味のない努力だと思います。

 

でも、元々、自分が好きで始めたことで、たまたま嫌なことにぶち当たったという時には、逃げたくなったり避けたくなる気持ちに打ち勝って努力すべきだと思います。

 

本当に嫌なことなのか、目の前の状況から逃げだそうとしているだけなのかは自分の心に聞けば、すぐに分かりますよね。

 

好きなことに関する嫌なことだったら、積極的に取り組むべきです。それが、願望を実現するうえで必要なことですし、スピリチュアル的な生き方だと思います。