今に集中して思考が停止している状態が悟りですが、私はスピリチュアルや宗教のようなものと全く無縁の時に、一度だけ体験したことがあります。20年近く前の出来事なのですが、今でもすぐにその感覚を思い出せるぐらい、強烈な体験でした。

 

悟りの感覚

 

それで、『これが今にある状態なんだ』と気付いたのが5~6年前なのですが、それ以来、20年前の経験を利用して、今にある練習をしています。おかげで、毎日少しずつ、今にいる時間が増えてきています。

 

(今にあるという話をしながら、時間とか言っているのは矛盾なのですが、そこは言葉のアヤとしてご了承ください。)

 

私が悟りを得た瞬間

 

それで、私がどうやって悟りの状態に至ったかというと、ちょっと風変わりです。というか、全然スピ的ではないことです。

 

私は昔から、車を運転することが好きで、それが高じて学生時代の頃からモータースポーツにはまり、サーキットに行って自分の車で走っていました。

 

それで、ある時、箱根へドライブに行ったのですが、あまりにも楽しくして、ついスピードを出して走ってしまいました。制限速度の倍以上のスピードだったので、正確には走るではなくて暴走です。違法行為どころではない危険行為です。

 

案の定、何度か事故を起こしそうになり、自分でも身の危険を感じました。でも、なぜか止められず、ますますアクセルを踏んで加速しまい、このままでは本当に死ぬと思った瞬間、一気に感覚が変わりました。

 

突然、時間の流れがゆっくりになりました。猛スピードで走っているのにもかかわらず、『あ~、いま道路の白線をふんだ~』、『後ろのタイヤが砂利をはねた~』と一つ一つの状況をゆっくりと確実に認識することが出来ます。

 

ビデオをスロー再生しているような感じです。(そういえば、運転している自分を見下ろしている自分もいました。)

 

時間

 

車を止めるまで、そんな状態が続きました。多分、10分ぐらいだったと思います。車からおりた時に我に返ったのですが、『これは何だったんだ?』と心地よい余韻に浸りながら、すごく謎でした。

 

『あの感覚を味わってみたい』と思ったのですが、その後、そんな状態になることはありませんでした。

 

レース関係の本で、レーサーがたまに時間の流れが遅くなるという感覚を経験することがあるという話を読み(ドライビングビジョンと言われるものだそうです)、サーキットを走ったりしていれば、そのうち、また体験出来るかなと思ったのですが、車に関しては後にも先にも、その一度きりです。

 

どうすれば、またあの経験を味わえるのだろう? あの経験はなんだったんだろう? という疑問を持ちながら数年を過ごしました。

 

でも、ずっと分からずじまい・・・

 

そんなに追求していたわけでもないのですが、心の片隅で何となく気になっていました。

 

エックハルト・トールの本で腑に落ちる

 

それで、『なるほど!!』と謎が解けたのが、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
』を読んだ時です。

 

この本のなかで、命の危険を感じるような時に思考が停止して、さとりを開いたのと同じ状態になるという話が書かれており、その感覚を忘れられず、身の危険をかえりみず追い求めてしまう人種として、レーサーや冒険家があげられていて、まさにドンピシャでした。

 

その本には、わざわざ、そんな危険を犯さなくてもいいとも書いてありますが(笑)

 

ちょっと余談ですが、私は冒険というものにも昔から惹かれていて、それがキッカケでダイビングを始めました。

 

初心者の頃は、潜るたびに『海のなかで何かあったらどうしよう?』と恐怖を感じていたのですが、その恐怖という感覚のなかに病みつきになるような心地よい感覚もあり、慣れてきて恐怖を感じないようになると、だんだん難易度をあげていくということを続けています。

 

エベレストに登りたいとも本気で思っていたりしますが、こういうのも、まさに思考が停止する瞬間を追い求めているからなんだなと感じます。

 

一度、その感覚を味わうと瞑想がやりやすい

 

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』を読んで、日常生活のなかでもトレーニング次第で、あの感覚を味わうことが出来るんだということが分かったので、それ以来、地道に続けています。

 

ここ数年、毎日瞑想をしているのですが、それも、あの感覚の快感を知っているからです。瞑想するのが面倒だなとか思っていても、あの感覚を思い出すたびに『よし!』とやる気になります。

 

それだけ、イイんですね^^

 

ここまで、長々と私自身の経験を書き連ねてきましたが、何が言いたいのかというと、自分が好きなことを追求していくと、悟りの感覚って経験しやすいということです。

 

何かに没頭している時って思考が停止するので、その没頭具合を深めていけばいくほど、悟りの感覚も強烈に味わうことが出来ます。

 

でも、これって自分の好きなことに取り組むのが、もっともやりやすいんですよね。

 

私の例でいえば、自然を観るのが好きなので、旅行にいって壮大な光景をみるのもそうですし、車の運転をしている時も、20年前の時ほどではありませんが、やっぱり悟りの感覚を味わえます。

 

私の場合、体を動かすのが好きな人間なので、体感覚絡みのことが多いのですが、絵を見ている時、歌っている時に悟りの感覚を味わいやすいという芸術肌の人もいると思います。

 

これは人それぞれですが、要は自分がやりたいこと・熱中出来ることを突き詰めることです。(突き詰めるというのは上手になるとかスキルアップするという意味ではなくて、真剣になる度合い、夢中になる度合いを高めるという意味です。)

 

ちなみに、仕事をしている時が、最も没頭しやすいという人もいると思います。

 

そういえば、こうやってブログを書いている人間だからかもしれないのですが、文章を書くということも、私にとっては入りやすい行為です。

 

こうやって、思考が停止する状態と接する機会を増やしていけば、だんだん思考の扱い方が上手になってきます。普通に生活しているなかでも思考をコントロールすることが出来るようになりますし、瞑想のような行為をする時に、より高い効果を得られるようになります。

 

これは、いま思いついたことですが、時間を忘れる機会を増やすといいのでしょうね。童心に帰る機会を増やすと言ってもいいかもしれません。

 

その時の感覚を覚えておいて、毎日の生活のなかで折りに触れて思い出す。こんなことを続けていけば、だんだん思考停止の感覚を体に染みこませることが出来るようになると思います。

 

まさに人生は遊びですね!

 

引き寄せの法則

 

ちょっと変わった意見かもしれませんが、これでうまくいかなかったとしても、損することはないので(楽しいだけなので)、ぜひ試してみてください。