これはスピリチュアルに限ったことではないのですが、何事に対しても疑問や批判の気持ちを持つことは、そのことに対する理解を深めることにつながります。

 

スピリチュアルに対する理解を深めたかったら、心に浮かんでくる疑いや批判の気持ちを軽んじないことです。

 

スピリチュアルに対する疑問

 

もちろん、これは何でもかんでも文句を言えということではありません。あるスピリチュアルの知恵があるとして、100%、心から受け入れられるということであれば、それでOKです。

 

ただ、時には『本当にそうなの?』、『納得出来ないな・・・』、『何かが違うような気がする』といった疑問や否定する考えが出てくることもあるはずです。私が言いたいのは、そんな時に、疑いを持つのはいけないと、その考えを押し殺してしまうのはモッタイナイということです。

 

無条件に受け入れるというのは、素直な感じで好ましいように見えるかもしれませんが、これって学習姿勢としては上っ面なので、学びの度合いは低いものとなります。

 

これだけならまだいいのですが、『誰々さんが言ったから正しい』と、自分のなかで考えることをせずに受け入れてしまうのは、単純に依存しているだけであり極めて危険です。

 

新興宗教に騙されてしまうような人も、こういったタイプです。ひとまず自分で考えてみるという姿勢がとても大切です。

 

自分で考える

 

70年代に絶大な影響があったスピリチュアル教祖に対する妻の疑問

 

つい先週のことなのですが、Joy
という本を買いました。OSHOという70年代に精神世界で絶大な影響を誇った人物の本です。最近、レディガガが絶賛して、またアメリカでブームになっているそうです。

 

私は今回、この本で初めて知った人なので、こんな人がいたんだなと思いながら、興味深く読んでいました。

 

それで、個人的にはとても勉強になる内容でもあったので、妻に『この人、知ってる?』と聞いてみました。

 

妻は10代の頃に精神世界に興味を持ちだし、散々ハマった後に、今は少し距離をおいている人間です。(とはいっても、ヘミシンクのCDを一通り持っていて、今も聞いているぐらいなので、スピリチュアル好きであることに変わりはないようです。)

 

そうしたら、OSHOのことをけっこう知っていて、批判的な人も多いということを教えてもらいました。

 

精神性を説いているのに、本人はロールスロイスを乗り回しているなど、けっこう俗物的ということで批判している人もいれば、『これも豊かさの側面なので、いいんだ』と受け入れている人に分かれているということで、妻はどちらかといえば、批判的な立場でした。

 

私は個人的には、スピリチュアルのリーダー的存在の人が、俗物的であったとしても何らおかしくないと思っています。

 

さすがに『お金は汚いものだからお布施しなさい』といったようなことを口にしながら、そのお金を全部自分のものにして使い放題というような人がいたら、それはオカシイと思いますが、チャネラーやヒーラー、カウンセラーといった職業の人が、お客さんから高評価を得て、結果的に高収入を得ているということであれば、なんらおかしくないと思います。

 

この点、私は妻とは意見が違いますが、妻が批判的な意見を持っていること自体については、決しておかしいとは思いません。そんな考えの人がいるのも普通だし、そういった意見に自分自身が耳を傾けるのも大切だと思っています。

 

正直なところ、こういった話を聞くと『OSHOが言っていることはどうだろう?』という気持ちも起きますし、『本当にしっかりとした人なの?』という考えも沸き上がってきます。

 

それで、私なりに背景を調べたり、本の内容を読み返してみて、やっぱり私にとっては学びの対象となるものとして、肯定する立場に戻ったのですが、重要なのは、こういったプロセスを経ることです。

 

こんなふうに疑いや不安の気持ちを持ったあとに受け入れるというのは、無条件で受け入れていた時の状態と比較して、自分のなかの納得度合いや理解度が全然違います。

 

以前、私は行動や努力というものを軽視する時期があったことで、かえって大切さを実感出来るようになったという記事を書きました。

https://hikiyose28.com/?p=255

 

これと全く一緒の話なのですが、何ら疑うことなく信じているものと、散々疑問を感じた後に納得して受け入れたものだと、そのことに対する信頼度が違います。

 

スピリチュアルに対する信頼

 

信じるも信じないも自分の責任で行うこと

 

なぜ、疑いや批判の気持ちを持つことが、理解度や信頼度が深まることにつながるのか?

 

それは自分が主体となって考えるという作業をしているからです。違う言い方をすれば、そのことを受け入れる・拒否するという行動を、自分の責任で実行しているということです。

 

最初に『この人がいったから』と無条件で受け入れるのはダメと書きましたが、これは責任を放棄しているからです。結局、相手に責任を丸投げしているので、本人はいたくもかゆくもありません。

 

うまくいかなくても、マズイことが起きたとしても、それは相手のせいです。これだと自分が傷つくことがなくて、そこだけ見るといいように思えるかもしれませんが、傷つくリスクがない状況だと、本気になることがないので、いつまでも本人が成長しません。

 

私は『宇宙にお任せ』とゆだねる精神も、それを自分の責任で行うことが大切だと思っています。

 

自分の責任というのは、もし、それでうまくいかなくても、それは宇宙を信頼した自分が決めたことなので、原因は自分にあるという姿勢を持つことです。

 

一方、依存体質での『ゆだねる』だと、うまくいかない時に『宇宙を信頼してもダメじゃん』、 『信頼して損した!』と宇宙を批判することになります。これだと、どうなるか言うまでもないですよね・・・

 

自分の判断に責任を持つ、自分で考える

 

これはこの世を生きていくうえで、とても大切な姿勢です。自分で考えることをしない人を食い物にしようとする悪人が多いのも、この世の中ですから、ここはジックリ考える必要があると思います。

 

補足

 

ちなみに、こういった記事を読んで、『よし、責任を持って行動しよう!』と何も考えずに受けいれてしまうのもダメです。

 

『本当にそうなの?』、『責任なんて、持たなくてもいいのでは?』というふうに思うのも、また一つの自然な反応ですし、そんな気持ちが浮かんだ時には、そのことについてジックリと考えてみてください。

 

これが本当の学びですし、こうして頂ければ、このブログも良い学習の機会となるので、私も嬉しく思います。