精神世界というのは、本来、言葉で表現出来るものではないので、本であっても講演会やセミナーであっても、言葉だけで理解しようとすると、なかなか真意にたどり着けない部分があります。
ここは色々と経験をしながら、自分の肌感覚で掴んでいくしかないのですが、それまでに何年もかかるようなこともあります。
私にとっても、『分かるようで分からない』と長い間、頭を悩まされた言葉が幾つかあります。
そのなかの一つが『願望には執着しないほうがいい』という言葉です。『願いを手放す』という言い方をすることもあります。
この言葉は100%、真実だと思っているのですが、同時に誤解をしやすい言葉であるとも思っています。少なくても私にとってはそうです。4年ぐらいは悩み続けました(;^_^
ゴキブリを一匹見つけたら100匹はいると思えと言うように(ちょっと、たとえは悪いですね)、自分一人と同じような悩みを持っている人って多くいるものなので、そういった方の参考になればということで、私の経験とそこから得た気づきをシェアさせて頂きます。
願望を手放したら、叶わなくなった
私が直面した悩みというのは、自分の願いを実現するために努力することと執着って一緒なのかどうかということです。
私は経営者なので、●●という事業で売上を■■円にするといった経営計画を立てて、目標達成のため行動しています。
とは言っても、何事も計画通りにいくわけではなく、たとえば、今月は新しい顧客を5人獲得したいのだけれども、まだ一人。今月は残り1週間しかない。どうすればいい?なんて状況に遭遇することは珍しくありません。
ここで、一般的な対応としては、何が何でも目標を達成するため、1週間気合い入れていくぞ!ということになります。
どうすれば、残り1週間で目標を達成できるか必死で考えて、それを実行します。この時は死にもの狂いという言葉がピッタリの雰囲気になります。
私も昔はそうだったのですが、スピリチュアルの知識を知った時、これは執着だと思いました。
自分のエゴが必死で状況をコントロールしようとしている。これではスピリチュアルの教えに反する。今の状況を受け入れて、焦らずに仕事をこなしていこう。
こんなふうに考え、目標実現にこだわらないようにしました。
それで状況が改善したかというと・・・
あまり良くなりませんでした。実は、こんな感じで『売上目標なんて、どうでもいい。なるようになるさ! そのときそのときでやりたいことをやっていこう♪』とノホホンと活動することを数年間続けたのですが、決して状況は好転しませんでした。
現状維持は出来たものの、成長はしません。目標の達成度合いということでいえば、常に50~60%ぐらいでした。
これはこれでストレスがなくノンビリした毎日ではあったのですが、ある日、ふと『これは違う』と思い、もう少しガムシャラに仕事に取り組むようにしました。
とは言っても、死にもの狂いという感覚も違うと思ったので、そこは注意して、適度に息抜きをしながら取り組むことを心がけました。
その結果として、緩やかではありますが、上昇ペースに入っています。確実に売上も伸びるようになりましたし、それに比例してプライベートも大きく変化しました。(妻と知り合って結婚したのも、ペースを切り替えた後です。)
願望を執着しないは心構えの話
こんなふうに自分の願いを叶えるために必死で取り組むこと、全く気にせずに生活することというサイクルを繰り返したことで気付いたことがあります。
それは、願望に執着しないというのは、あくまでも心理的な問題であって、行動として手抜きをするのとは違うということです。
これは言葉で説明するのが非常に難しいのですが、今の私は、次のようにしています。
まず、願望実現に対して必死で取り組みます。その願望を実現するために、自分に出来ることがないかどうか考えて、思いついたことは全部実行します。
全て実行し終えたら、その時点で状況を確認して、また実行出来ることを整理して取り組みます。あとはこの繰り返しです。
これが、まず行動に関するパターンです。
そして、こうやって行動しつつ、心理的には願望実現にこだわりません。『目標が実現出来るかな?』、『ダメかな』と悩んだり、『どうしよう?』と焦ることはしません。
しませんとはいっても、ついしてしまうのですが(笑)、気付くたびにニュートラルの状態に戻るように心がけています。
こうやって書いていて気付いたのですが、結局、このサイトで私が度々、触れている『人事を尽くして天命を待つ』ですね。
でも、昔の私は人事を尽くすことを執着すると勘違いして、自分の出来ることを全てやるという姿勢を取らず、そのため願望が実現しませんでした。
願望を実現するために努力することは執着ではないですし、願望を手放すというのは、行動という点で何もしないというわけではありません。
これはあくまでも心構えの話です。
何も行動しないということとは違うでしょう。
ちなみに『行動したくない』という気持ちは、『どうせ願望が実現するわけがない』という不安や『なんで願望が実現しないんだ!』という現状を否定する心から発生するものです。
本当の意味で、今の現状を受け入れていれば、願望を実現するために必要な行動を自然に取っているはずです。それこそ意識せずに動いていると思います。
『嫌だな』というのは『大変だから』と思っているからであり、それは願望が実現することに確信を持っていないから=不安に感じているからです。
ここは、また別の記事でまとめてみようと思いますが、実現したい願望があるけど、状況が思わしくないという時には、今の自分に出来ることが何かないか考えて、全力で実行すべきです。
願望が実現してもしなくても、どちらでもいいといった姿勢では叶うものも叶いません。
実現させるために出来ることは全部やる。でも、それで実現しなかったら、それはそれで、その状況を受け入れる。そして、そのうえで、改めて実現のための努力をする。
こんな感じですね。この感覚を維持するのは難しく、努力すればするほど、つい『なんで、実現しないんだ!』と願いが実現しない現状を否定する気持ちが出てきてしまうものですが、それが願望に対する執着です。
捨てるべき執着というのは、願望が叶わないことに対する不平不満であり、その状況を変えるために努力することは執着でも何でもない。
これが私が学んだことであり、今、心の底から信じていることです。
[…] 先日の記事で、『願望に全く執着しないのは違う』という話を書きました。とは言っても、執着しすぎるのもダメで、バランスを取ることが大切といったことを書きたかったのですが、 […]