自己啓発の世界でセミナー難民と揶揄される人達がいます。何万円、何十万円とする高額のセミナーを練り歩き、知識に関してはずば抜けた量を身につけているにも関わらず、本人は何も変わらないといったタイプの人達です。

 

もちろん変わる必要がないのであればそれでいいのですが、実現したいことや変えたいと思うことがあるのに、堂々巡りを繰り返すだけ・・・ まるで迷路に迷っている状態です。

 

スピリチュアル

 

知識があるのに変わらないのは、身につけたことを実践しないからです。一言でいえば勉強好きの行動嫌いといった感じですが、スピリチュアルの世界でも、こういったタイプの人間は少なくないような気がします。

 

次から次へとブログを読んだり、本を買ったり、セッションを受けたり・・・

 

でも、それだけで自分の行動自体は何も変わらず、いつまで経っても同じ状態。

 

スピリチュアル的にいえば、もしかしたら、こういった時期も必要で、これが人生を変えることにつながるといったこともあるかもしれません。

 

だから、ダメと簡単には言えないのですが、でも自分を変化させる行動をしないまま、ひたすら知識の習得などに邁進するのはどこか違うかなという気がします。

 

経験上、どこかで行動ということに舵をきらない限り、状況は全く変わらないはずです。

 

スピリチュアルは知識量よりも実践の深さ

 

私がスピリチュアルというものと接していて実感しているのは、どれだけの知識を知っているかということよりも、一つの知識をどれだけ深く実践しているかということのほうが重要であるということです。

 

たとえば、私が今現在、自分の課題だと思っているのは『自分自身を愛する(受け入れる)』ということです。

 

どうも、私は1から出来たら10、10が出来たら20というふうに、自分に対する要求度をどんどん高くしていく傾向があります。これも適度であれば、自分自身を高める負荷になりますが、度を超すと不幸になります。

 

それで、私の場合、度を超えているという実感があり、もう少し『このままでも良い』とありのままの自分を受け入れることを意識する方向にいったほうが良いと考えています。

 

でも、私はどうも『自分を愛する』ということが苦手です。そのまえに『受け入れるって、どういうこと?』と感覚が分からなかったりもします。

 

それでも、本で自分を受け入れるといった言葉をみると響くものがあり、実践しているのですが、なかなかモノにならないですし、ふと気付くと忘れていたりします。

 

それで、私が実践しているのが、『これだ!』と思う本やCDがあれば、毎日何度も読み返す(聞き返す)ことです。

 

今は、このサイトでも紹介している石井裕之さんの『ダイナマイトモチベーションプログラム』のなかの『自分を愛する』という部分をひたすら聞いています。ダイナマイトモチベーションは全24トラックのCDで構成されているですが、私が聴いているのは、そのなかの3トラックだけです。

 

いずれも自分を愛する、現状を受け入れるといった内容なのですが、とかく目標を達成していない状態や自分を否定的に捉えがちなので、そこを改善すべく聞き返しています。

 

ダイナマイトモチベーションの前はManaさんの『空』のなかの1ページを毎日、読み返していました。

 

時期によって自分が強く反応する内容が変わるので、題材はその都度定期的に変えていますが、これだと感じたら、一度で終わらせず繰り返しています。基本的には、その内容を無意識に実践出来るようになるまで続けることを心がけています。

 

繰り返すと、自分の血肉になる

 

それで、こうやって何度も続けていると、少しずつ、その知識が自分のものになってきます。最初は『何かよくわからない』と思って始めたことでも、何度も繰り返しているうちに感覚として理解出来るようになってきます。

 

私自身、少しずつ自分を愛するという感覚が分かってきました。

 

ちなみに、これって本当に少しずつです。『自分を愛する』ということを私が本気で意識するようになってから、もう3年近く経っていると思いますが、ようやくそこそこ実践出来るようになってきました。

 

人間の習慣って、そうは変わりません。私は40歳近くになりますが、今持っている考え方というのは、40年かけて積み上げてきたものです。それを一瞬で変えるというのは無理です。そんなことをしても、体が拒否反応を示します。

 

正確にいえば、一時的に変えることは出来ますが、すぐに元に戻ります。

 

人間の習慣って形状記憶合金のようなものです。すぐに元通りになる力があります。それを変えるには地道に少しずつ取り組むことが必須です。

 

ちなみに、これは余談ですが、自己啓発セミナーやスピリチュアルのセッションを練り歩く人がいるのは、こういったメカニズムからです。

 

その日、その瞬間はたしかに変わり、しかも変化が劇的なので、すごく気持ちがイイんです。でも、それで家に帰ると、また元通りになるので、またその刺激が欲しくて・・・というプロセスです。

 

言葉は悪いのですが、薬物依存と一緒です。やればやるほど依存性が高くなり、止められなくなります。

 

これを断ち切るには、安易な道はないと覚悟することです。自分を変えるには地道な積み重ねしかないということを受け入れて、そのための行動を続けることです。

 

それで、話を元に戻すと、少しずつ続けるというのは、具体的には何か一つの教えを実践するということです。あれもこれもと手を広げる必要はありません。

 

いいなと思う本があったら、それを毎日読み返して、その内容を実践し続けることを意識する。でも、最初はつい忘れてしまうので、そこでめげずに毎日繰り返す。そうすると、だんだん意識している時間の割合が増えていって、そのうち、その本の内容自体が、自分にとっての当たり前になる。

 

これしかないと思います。

 

新しいCDや本のほうが新鮮なので、刺激があり楽しいのですが、それでは身になりません。100冊の本を1回ずつ読むより、1冊の本を100回読んだほうが、遙かに勉強になります。

 

一つのことを繰り返すのが学びです。

 

次から次へと新しいモノに手を出すのはエンターテイメントに過ぎません。映画を観て面白いと感じるのと一緒です。決して、これは学びではないので要注意です。この行動を繰り返している限り、時間とお金を浪費するだけで何も変わりません。よくよく注意しましょう。

 

最後に、自分を変えるって、決して楽しいことではないので、効果的なことほど退屈で嫌な感じがするものです。『楽しい』だけで判断すると、安易な方向に流されるので要注意です。かといって、ただ辛いというのも違いますが・・・

 

辛いし大変だし、時には嫌にもなるけど、でもやっぱり楽しい

 

こんなふうに感じることこそが、本当に自分にとっての大切なことのような気がします。