先日、このブログの読者さんとお会いする機会があったのですが、お話をするなかで、一つの悩み相談を受けました。
それは、『物事を継続することが出来ない』という悩みだったのですが、よくよく話を聞いてみると、そんなことはありませんでした。『立派に継続出来ている』と私は感じました。
でも、その読者さん(Sさん)は、自分には継続性がないと悩んでいたのですが、それは、継続というものに関するちょっとした誤解があったからでした。
この誤解というのは、昔、私自身もそう思っていたことであり、けっこう多くの人が同じように感じているかもしれないので、内容をシェアさせて頂きます。
継続で重要なことは目的
Sさんは色々なスピリチュアルのテクニックを実践しているそうです。●●メソッドとか▲▲セラピーとか、こういう感じですね。本当は詳しく教えてもらったのですが、正直、私は疎いので正確に覚えきれませんでした(;^_^
Aという本を読んで●●メソッドがいいと知り実践する。でも、すぐに飽きてしまい、そのうちBという本を読んで、別の■■メソッドが良いと知り、今度はそちらにハマル。
でも、それにも飽きだして、また別のCという本を読んで、そこに書いてあるセラピーに興味を持って・・・
そんな状態ですね。
これって『私もそう!』と思う人が多いかもしれませんが、このSさんの行動をみて、どう感じるでしょうか?
Sさんは飽き性で継続性がない人だと思うでしょうか?
一般的に継続性がない人間だと評価されるかもしれませんが、私自身の考えとしては、Sさんは立派に物事を継続している人です。
それは幸せになりたいという目標をもって、そのための行動を続けているからです。そのための方法論が変化しているだけです。
私は目標そのものが変化しなければ、やりかた自体は幾ら変えてもいいと思っていますし、それは一貫した行動だと思っています。
それでいえば、私自身、幸せになりたいという目標を叶えるために、全く違うことを数年おきに実践している人間です。
ひたすらお金儲けをして、収入を得ることで幸せになろうとしたこともあれば、仕事など放り投げて、精神世界やスピリチュアルの本を次から次へと読みあさって、精神面から幸せになろうとしたこともあります。
旅行したりテニスをしたりと自分の趣味に没頭することによって、幸せを得ようとしたこともあります。今だと、犬を飼っているのもそうでしょうか^^
けっこう、やっていることは時期によってバラバラですが、目指すべき方向性は変わっていないですし、全てがそのための行動なので、キチンと積み上がっていると思っています。
世間一般的には、一度決めたことをずっと続けることが継続だと捉えられがちですが、これは違うと思ったり、もっと良いことが見つかったと感じたら、やりかたは変えてもいいわけです。
むしろ、自分の興味や関心を押さえつけて、一つのことを続けることのほうが害です。
もしかしたら、一つのことを続けたほうがプラスになるのかもしれません。そうすることで得られるものがあることも事実です。
私は12年前からずっと続けている事業があるのですが、最近になってやっと分かったということもあります。これを20年、30年と続けていくことで初めて体験出来ることもあるのだろうなとも感じていて、その体験がしたくて、正直なところ飽きを感じつつも、その飽きと付き合いながら続けています。
だから、一つの方法論をずっと続けるのも素晴らしいことだと思っています。でも、それと同じくらい色々な方法論を代わり代わり実践することも、同じくらい意味深いことだとも思っています。
ちょっと補足すると、私自身は『深く狭く』と『広く浅く』を両方実践しています。興味の赴くままに、色々なことに手を出しつつ、そのなかで関心が続くことは深掘りするという感じです。
願望実現、スピリチュアルというのも、まさに深掘りしているテーマで、だからこそ、こんなブログを書いているのですが、こんなふうに深掘り出来ることが、自分の軸になるものと捉えています。
でも、この軸を深掘りするには、ひたすらそのテーマだけを追い求めるだけではダメだと感じています。
このブログで触れることがたびたびあるのですが、私は車やダイビング、旅行、犬といった自分の趣味や好きなことから、スピリチュアル的な気づきを得ることがあります。
これは、私にとってはどちらかといえば広く浅くの領域に属する活動ですが、そういった活動も意味があるということです。
だからこそ、三日坊主でもいいから、やりたかったらやればいいわけです。
目的は変えてはダメ?
では、方法論は変えてもいいとして、目的はどうでしょう?
目的を途中で変えたらダメでしょうか?
たとえば、今までピアニストを目指して頑張ってきたのに、突然、野球選手になりたくなり、野球の練習を始めたとしたら? (ちょっと極端な例ですが・・・)
こんなケースでも継続の威力は発揮されます。
ピアニストとしての能力と野球選手としての能力は、表面的には一致しないかもしれません。ただ、土台となる能力=集中力や理解力などは、ジャンルが変わっても共通なので、立派に引き継がれます。
一つの分野を究めた人は、別の分野にいっても成功するものですが、その背景には、こういったカラクリがあります。
(多彩な人というのは、色々な能力が生まれつきあるわけではなく、能力を育てる方法を身につけているので、それを複数の分野で活用しているだけです。)
そして・・・・
もっと根本的な部分で言えば、目的自体、変わっていません。ピアニストになりたい、野球選手になりたいというのも、突き詰めれば目的は一緒です。
自分を成長させたい、充実した人生を送りたい、満足感・達成感を味わいたい
要は幸せになりたいということで、そこは一緒です。
究極的な目的は変わりようがありません。だから、どんな人生を送りたいのか、どんな人間になりたいのかという目的に目覚めた人は、細かいことを気にする必要はありません。
その目的を忘れない限り、全ての行動が実現化へのステップとなります。人間の脳は優秀なので、目的さえ明確にすれば、達成するためにフル稼働します。どんな状況でも目的の実現に利用します。
成功哲学でも精神世界でも願望は立てた時点で実現することが約束されているという話がありますが、個人的にはかなり納得です。
紆余曲折や歩みのスピードの違いはありますが、実現化するのは間違いなしです。
だからこそ、重要なのは、目的そのものを忘れないことです。案外、人間は自分がどこに向かっているか、意識しないものです。
目標を立てても、いつの間にかズレていることも少なくありません。そのため、定期的に自分の目指す方向性を確認することを習慣化しましょう。
そこさえ出来れば、細かい方法論は気にしなくても大丈夫です。やりたいように動きましょう。結果的に最短ルートで進めるはずです。重要なのは何をするかではなく、歩み続けるかどうかです。