腎臓のスピリチュアル的な意味

 

腎臓はそら豆のような形状で、大きさは握りこぶしぐらい、腰のあたりに左右2個あります。血液を濾過して、老廃物や塩分を尿として体外に出す、塩分と水分の排出量をコントロールすることで血圧を調整するというのが、主な役割です。

 

ほかにも、血液を作る指令を出す、体液量・イオンバランスを調節するといった役目も持っていますが、いずれも生命維持に直結するものなので、腎臓というのは、我々にとっては無くてはならない貴重な臓器ですが、スピリチュアル的に見ると、どんな意味があるのでしょうか。

 

ここでは、腎臓という臓器にまつわる、スピリチュアル的な意味合いについて、考察していきます。

 

腎臓はスピリチュアル的にも、重要な臓器

ちなみに、スピリチュアル的に見て、人間の体で大きな影響を及ぼす臓器と言えば、『胃』、『腸』、『腎臓』です。胃や腸は外界から取り入れた食物を消化吸収する役割があり、毎日休むことなく動いていますが、これは新しいものを受け入れるというスピリチュアルメッセージを持っています。

 

一方、腎臓は上記で触れたように、濾過(フィルター)の役目を持ち、自分に必要なもの、不必要なものを選ぶことが出来るかというスピリチュアルメッセージを持っています。胃、腸と同じように、毎日休まず働いている臓器ですが、役割は違うということです。

 

どちらかと言えば、腎臓のほうが、負荷がかかりやすい臓器であり、スピリチュアル的に言うと、胃や腸よりメッセージ性は重くなります。(もちろん、胃や腸も重要なメッセージを含んでいますが、腎臓はそれ以上ということです。)

 

腎臓は『恐怖』に関係している臓器

腎臓の大きな働きの一つである『濾過』を、スピリチュアル的に解釈すると、『決心出来るどうか』という意味合いを持ちます。腎臓は、決断力と関係性がある臓器ということです。

 

腎臓が弱っている人には、不安、心配、ストレスを抱えていて、情緒が不安定な状態にある人が少なくないのですが、これらは全て、決めることが出来ないという迷いと密接な関係があります。

 

入試、就職、結婚、病気など、長い人生においては、重要な決断をしなければいけない時が、多々ありますが、この『人生に関する決断』に関して悩むというのは、ストレスがかかることでもあり、考えている間は、ずっと腎臓に負担がかかります。

 

ここで、すっぱりと決断が出来る人であれば、腎臓の負担は軽くなり、快調な状態に保たれます。(こういった人の外見は若いです。)

 

一方、なかなか決断が出来ない人だと、腎臓にストレスがかかり、だんだん弱くなっていってしまいます。

 

では、決断が出来る人と出来ない人、両者の差というのは、何なのでしょうか?
なぜ、決断することが出来ないのでしょうか?

 

それは、将来に対する不安です。どんな決断をするのであれ、その結果、どうなるのかというのは、人間には分かりません。そして、分からないというのは、人間にとっては恐怖です。

 

決断するというのは、その恐怖を引き受けるということでもありますが、そこに躊躇してしまう人は、いつまでも、決めることは出来ません。

 

大丈夫と確信出来ない限り、絶対に行動しないという、『石橋を叩いて渡る』という人が、あなたの周りにもいると思いますが、そんなタイプですね。

 

でも、ここで重要なのは、本音の本音では、大丈夫と確信出来るということは、無いということです。世の中に絶対はないのですが、当然のことです。

 

その事実と真っ正面から向き合えば、結局は行動するしかないと、腹をくくることが出来ますが、そこから逃げている臆病な人は、ずっと逃げの人生を送ることになります。

 

でも、その逃げというのは、腎臓に強い負荷をかけることになり、病気という形で、症状が出てくるということです。

 

こう考えると、腎臓というのは、私達誰もが抱えている問題、いつかは向き合わなければいけない問題と直結している、スピリチュアル的に、極めて深い意味を持つ臓器と言えます。

 

解決方法

では、この決断という問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか。まず、将来に対する不安、決断に対する不安はなくならないということを、受け入れることです。

 

未来を予測する力は、人間にはないのですから、根本的に人生というのは、先が分からないものです。そのことを認めることが出発点です。

 

そのうえで、少しでも、うまくいく確率を高められるように、準備を入念に行うことです。人生の節目となるものをあらかじめ予測して、事前に対処するようにします。

 

結婚ならいつまで、転職ならいつまで、親の介護が始まったら、親が死んだら等、想定出来る全てのことについて、対処策を考えます。そして、そのために、自分が今為すべきことは何なのか、逆算します。

 

そして、その何か分かったら、実行に移します。私たちの日々というのは、毎日が小さな選択です。人生の節目について、事前に考えて、少しでも準備をしておけば、その分だけ、難を逃れやすくなります。

 

ただし、ここで重要なことは、準備をしたからといって、それがうまくいくとは限らないということです。繰り返しになりますが、絶対はないからです。

 

でも、全く準備をしない、行き当たりばったりの人生よりは、うまくいく可能性が高いですし、そうやって、自分が出来る努力をするということが、自分の成長につながります。そして、そういった人というのは、仮に悪いことが起きたとしても、それを受け入れて、適切に対処出来ます。

 

これが、スピリチュアル的な成長です。つまり、腎臓に異常が起こるというのは、自己の成長をほどこすためのメッセージと言えます。

 

将来が分からないという不安は、本当に大きなものですが、それだけに引き受ける覚悟が出来れば、一段階、人格が向上して、器が大きくなりますし、その後の人生は、確実に今よりも、楽になります。

 

言葉で言うほど簡単なことではありませんが、出来る範囲内で、少しずつ向き合っていきましょう。そして、そのバロメーターになるのが、腎臓という存在であるということは、頭に入れておいてください。