目の病気のスピリチュアル的な意味

 

私達が病気になる場合、スピリチュアル的な視点で見ると、必ずその病気には、隠されたメッセージが存在します。そのメッセージの内容を紐解いて、適切な行動を取るのが、現実の世界に生きている私達に課せられた使命となります。

 

このページでは『目の病気』について、スピリチュアル的に解き明かしていきますが、一口に、目の病気といっても、実際にはかなり幅広く、眼精疲労のような一時的なものから、白内障などの、重度の病気まで、様々です。

 

それらの全てについて、見ていくのは難しいので、このページでは、多くの人が遭遇するであろう、代表的な目の症状を対象にしていきます。

 

目が痒いとき

目が痒い時には、当然のように指で目をこすりますよね?

 

その場合、視界は閉じられ、全く見ることが出来ません。この時に、自分自身の動きを観察すると、目をこすりながら、同時に目を開こうとしているのが、分かりますが、この行為は、スピリチュアル的には、『葛藤』を意味していると言われています。

 

本当は、見たくてたまらないのだけども、別の心理が働いて、直視できないという状態です。例えば好きな異性がいるとします。あなたは、その異性の気持ちが知りたくて、しょうがないけど、でも、本当のことを知るのは怖いので、やっぱり知りたくない・・・・

 

こんな精神状態に陥っている時に、目がかゆくなるということです。こういった場合には、素直に知りたいと思うことを、知るべきです。仮に、その事実がショッキングなことであったとしても、知ることで、次のステップに進めるからです。

 

知りたいけど、でも・・・

 

こんな、中途半端な状態にいる限り、あなた自身は、何も変わりません。これは停滞を意味しており、スピリチュアル的に見ても、決して良いことではありません。

 

あなたは、色々なことを経験するために、この世に生まれてきているので、どんどん、前に進むべきです。そうすることが、魂の成長にもつながります。

 

もし、ここまで読み進めてみて、何か思い当たることがあるならば、ぜひ、勇気を出して、真実を知るようにしてください。

 

充血した場合

この痒みと、関連する目の症状の一つに『充血』がありますが、この充血というのは、メッセージの結果を理解しようとしているという状態を、意味しています。

 

上記の異性の例で言えば、良い結果になろうとも悪い結果になろうとも、その結末を知ろうと、覚悟を決めている状態であり、つまりは、前向きな姿勢にあるということです。

 

また、結果が怖いけど、知りたいという気持ちが勝っている時にも、充血という症状が出ることがあります。

 

いずれにしても、この時には、真実を知るための行動を取りやすいので、そのまま一歩を踏み出してください。そうすることで、充血は消えますし、痒みについても、おさまっていくでしょう。

 

眼球が痛い場合

何も原因が分からず、眼球に痛みがある場合には、『あなたは今、間違った選択をしているよ』というスピリチュアルメッセージが送られてきていると考えてください。

 

これは仕事のミスといったようなレベルではなく、人間として、根本的な部分で、判断を誤っているという意味です。道徳的な間違いというと、分かりやすいかもしれません。

 

たとえば、差別やいじめということですね。こういった問題で、絶対に選択してはいけないものを選んでしまった場合、スピリチュアルの世界が、あなたの心を通して、目に痛みを送り、モノの見方を訴えているのです。

 

こういった時には、判断ミスを犯したことを認めて、適切な行動を取ることでしか、解決しません。ただ、眼球に痛みが出るまでになっているということは、そう簡単に過ちを認められることはないと思います。

 

(こんな話を聞いて、そうかとすぐに判断を変えられるぐらいであれば、こういった症状が出ることはありません。)

 

それだけ、自分自身にとっても、重みがある経験ということであり、認めるのが怖いという状況でもありますが、この恐怖に打ち勝たない限り、解決しません。

 

一例として、仮にあなたが、過去に戻ってでも、やり直したいと思うような大きな過ちを心に抱いているとしたら、今からでも遅くありません。その過ちを認めて、相手がいるようであれば、謝罪してください。

 

こうやって、行動に移すことで、目の痛みは無くなっていくはずです。(もし、無くならないとすれば、それは、その行動が適切ではないというスピリチュアルメッセージとなるので、どうすべきか、さらによく考えてください。)

 

緑内障の場合

緑内障というのは、視神経に障害が起こり、視野が狭くなる病気ですが、スピリチュアル的に見ると、日頃から、物事の視野が狭くなっている人に、発生する病気です。分かりやすい言葉で、一言で表現するならば、『頑固』ということです。

 

ある一定の年齢になっても、自分の考え方を曲げることが出来ず、最後まで我を通すことばかり考えているような人ですね。

 

緑内障というのは、思考パターンを変えなければいけないという、スピリチュアルメッセージですが、ここまでなってしまう人は、なかなか治りにくく、ほかの病気と相まって、さらにマイナスの世界に入り込んでしまうことが多いです。

 

ちなみに、こうやって、スピリチュアル的なことに興味がある人は、謙虚なので、緑内障という病気に悩まされることは、あまりないのですが、逆に言えば、緑内障にかかってしまう人に、こういったスピリチュアル的な視点を伝えても、すんなり受け入れてもらえません。

 

それだけに、対処するのが難しいのですが、スピリチュアル的な視点から見た解決法としては、心に柔軟性を取り戻すこと以外にはありません。

 

ですから、周囲に緑内障で苦しんでいる人がいたら、その人の心を柔らかく出来るように、フォローしてあげてください。

 

白内障の場合

白内障の代表的な症状は、薄く霧がかかったような視界になることですが、これをスピリチュアル的に解釈すると、自分の未来が良くないと、自己暗示をかけている状態、つまりは諦めの極致にあるということを意味しています。

 

長い人生のなかで、様々な経験をして、もうこれ以上良くはならないと、心の中で感じてしまっている。そんな時に出現する症状です。

 

そのため、白内障を解決するには、自分の気持ちを切り替えて、前向きな姿勢を取り戻すことにつきます。

 

それが出来るぐらいであれば、最初から白内障になっていないので、そう簡単なことではないのですが、しかしながら、これは唯一の対処法であり、少しずつ実践していくしかありません。

 

ちなみに、白内障というのは、医学的に見ても自己回復というのは難しく、疾患した時には、外科的な手術を行うことになりますが、手術後、視界が明るくなり、それがキッカケで、気持ちが前向きになるという人もいます。

 

こうやって見ると、スピリチュアルの世界と現実の世界というのは連動しており、スピリチュアル的な課題を解決するためには、霊的なことだけでなく、こうした現実的な対応も行うことが、重要ということが分かると思います。

 

実際、両方の視点を持って、必要なことを実践出来る人は、相乗効果を得て、上手くいきやすいので、ぜひ、こんなことも覚えておいてください。あまりにも、スピリチュアルだけにこだわるのは、スピリチュアルではありません。

 

【まとめ】

ここまで、目の症状にまつわるスピリチュアルメッセージについて、代表的なものを見てきましたが、自分自身の心構えがネックになっており、その姿勢を正す『勇気』が試されているという点で、共通しています。

 

正しく生きるには、勇気が必要ということですね。この勇気が欠けている時には、目に何らかの症状があらわれるので、何に対して、勇気を持つべきなのか、じっくりと考えてみてください。(こうやって、自分と向き合うことが、最も大切なことです。)