痔のスピリチュアル的な意味合い

 

ある日、お尻がもぞもぞするようになり、次第に痛みが出てくる『痔』。経験してみないと、辛さが分からない症状ですが、医学的な見地から痔を診ると、痔の原因は食生活の乱れ、ストレス、血行不良と言われています。

 

ただし、痔の原因については、様々な見解があり、実は、はっきりと特定することが出来ません。肛門がかゆくなる現象を、称して『痔』と呼んでいると考えると分かりやすいです。(病気の名称には、実はこういったことは多いです。)

 

では、スピリチュアル的に痔を考えた時には、どういった意味合いがあるのでしょうか? 痔は肛門に出来ますよね? 肛門というのは排出器官です。

 

食べ物から栄養分を摂った体が、最後に消化出来なかったものを外に出すところです。ここに痔が出来ると、排泄行為の時、もの凄く苦しい思いをします。排泄が出来ない、つまり、古くて要らないものを捨てられないということを意味しているのです。

 

ここで、『痔』という漢字を見てみましょう。痔は『病』と『寺』という字が合わさって出来た漢字です。寺という漢字を見ると、お坊さんやお墓のある『お寺』を想像する人が大半だと思いますが、そういった意味で用いられるようになる前は、『接待所』を意味する漢字でした。

 

元々が『接待所』ですから、『寺』という漢字は『じっとしている』、『保つ』、『続ける』という意味があります。ほかにも、『寺』を含む漢字を見てみましょう。

 

  • 時:日が続く→『時間』
  • 持:手で保つ→『持つ』
  • 詩:言葉を続ける→『うた』
  • 侍:人が側にいる→『仕える』
  • 待:人々がじっとしている→『待つ』

 

『痔』も病が肛門でじっとしている状態です。では何の病気なのか? それが何の病かは、人それぞれです。医学的なデキモノや癌や腫瘍のようなものではなく、頭の中でずっとぐるぐる回っているものですね。

 

排泄の場所が弱いといことは、糞が出せないということから『踏ん切りが悪い』ということに繋がります。つまり痔になる人は、心の中に諦めたくないものがある、または過去のこと、嫌な体験などどうしても忘れることが出来ないものがあることを意味しています。そういったことが霊的に働いて痔となって表れるというのが、スピリチュアル的な解釈となります。

 

痔が出来たらどうする?

もちろん、医学的な治療は必要です。スピリチュアルに対する造詣が深い人だと、つい、医学的な解決方法を軽視してしまいがちですが、体の不調を治すうえでは、とても役立つものであり、活用しない手はありません。

 

医学的に出来ることは行いつつ、スピリチュアル的な視点においても、問題解決を目指すというふうに、医療行為とスピリチュアル的な行為を同時並行で進めるのが、最善の方法です。

 

では、痔のケースにおいて、スピリチュアル的にやらなければいけないことというのは、何でしょうか。まず、上記のこと(諦められないこと、忘れられないこと、捨てられないこと)で、思い当たることがあれば、紙に書いてみましょう。

 

どういった悩みがあるのか。

 

  • 今、心に引っかかっていること
  • 過去の忘れられない経験
  • 嫌なこと
  • 好きな人がいて告白出来ない、恨みがある

 

等々・・・ 何でも構いません。

 

その紙を前にしたら、その問題を解決出来るように何らかの決断をしましょう。自分の思いの根の部分と何がやりたかったのか。不要なものがあれば手放す、そういった決意をするのです。

 

管理人の個人的な話です。数年前、管理人には好きな人がいたのですが、好きすぎて夢にまで出てくるようになりました。毎日毎日、その人のことを考えるようになり、気付いたら全く話すことが出来なくなったのです。そんな時に私は痔になっていたのです。

 

結果的に告白して、フラれてしまいましたが、痔はそれっきりでした。自分の中で踏ん切りがついて、思いを捨てることが出来たのだろうと思います。

 

痔が出来る人は繊細で、深く考えてしまって、傷つきやすい人です。どうか気持ちを楽にしてください。悩みをすぐ消すというのはなかなか難しいことですが、一つずつ解決していましょう。きっとできますから。新たな悩みが出てきたら、同じように心を正直に開いてください。

 

結論:痔が出来るということのスピリチュアル的な意味合い

結論としては、『痔』が出来るということは、ある思いが溜まっている状態です。あなたの思いを吐き出しましょうということです。全てはあなたの『心』が作っています。我慢することなく、心を軽く、綺麗にしてくださいという、スピリチュアルなメッセージです。